カテゴリ: 管理人の田舎者日記
お疲れさまでした。

平成29年祭礼が終わり一週間ちょっと過ぎました。
祭り終了以降、片付けやら秋の収穫に追いやられてしまいして投稿が遅れてしまいました。
上神谷地区の関係者の皆さま、何事もなく無事終了することができ、本当にお疲れ様でございました。
本宮午後からは、南堺連合でお世話になりました美福連合の関係者の皆さま、本当にお疲れ様でした。
今年で終わりですが、若連五役として運営に携われたこと、本当によかったと思っております。
まだまだ、反省会等は残っておりますが、本当にありがとうございました。
また、近隣の事業所様、地域の祭りに非常にご理解・ご協力をいただきましてありがとうございました。
みなさまのご協力は、祭りに非常に欠かせないものとなっております。
これからも万全の対策を尽くしてまいる所存ですので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
※写真は無いです(^_^;) 撮れませんでした、欲しいです(^_^;)
※動画も撮影していないので、YouTubeにアップいただいている方の分を貼り付けさせてもらいます。
大変ご無沙汰しています。
みなさま、こんにちは。
大変ご無沙汰をしておりますm(__)m
5か月ぶりのブログ投稿になります。
本当に久しぶりの投稿になりますが、ネタはありやせんw
この間、地車の見物は行けてませ~ん(^_^;)
今年だけですが、地元の祭礼関連に携わることが多くて。
さてさて、もう8月も10日までやってきましたね。
これだけはみなさん知っていると思いますが、お伝えしておきますね。
10月1日(日):試験曳き
10月7日(土):宵宮
10月8日(日):本宮
今年の祭礼情報は確定次第、発信できるようになろうかと思います。
しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__)m
大変ご無沙汰をしておりますm(__)m
5か月ぶりのブログ投稿になります。
本当に久しぶりの投稿になりますが、ネタはありやせんw
この間、地車の見物は行けてませ~ん(^_^;)
今年だけですが、地元の祭礼関連に携わることが多くて。
さてさて、もう8月も10日までやってきましたね。
これだけはみなさん知っていると思いますが、お伝えしておきますね。
10月1日(日):試験曳き
10月7日(土):宵宮
10月8日(日):本宮
今年の祭礼情報は確定次第、発信できるようになろうかと思います。
しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__)m
木彫前田工房 彫刻実演
今日は午前中に、愛彩ランドに木彫前田工房の彫刻実演を見に行ってきました( ´ ▽ ` )ノ
久しぶりに師とお会いしまして、色々とお話しすることができました。
お弟子さんのMくんとも会話、祭りも頑張ってと声掛ける〜♪
彫り物やっぱ渋いです(^_^)
これからも応援していきます‼️
それと目的は、もひとつ!
FB友達になっていただいていますMさんにもお会いしたかったこともありました。
会場に入っていきなり右手から視線が突き刺さる感があるなって思っていたら…少しするとこちらに来られたのがMさんでした(^ω^)
今回初めてのご対面、愛彩ランドについてとか色々とお話しできました、農業的な部分が沢山なのでわかることがあって話しが止まらない( ̄▽ ̄)(笑)
農家さんの野菜を上手に販売されるMさんがいるからこそ愛彩ランドが繁盛してるんかなと、クルマひっきりなしに入ってくるやないですか(^ω^)
ほんとゆっくりと楽しませてもらいました‼️
手を止めてすんません。
どうもありがとうございました。
静かに佇む記念碑

上神谷地区の皆さんはご存じであろうかと思いますが、泉北ニュータウン建設計画において埋没することとなった、泉田中の隣組にあたる「庭代(にわだい)」の「庭代集落記念碑」が庭代台派出所や庭代台中学校がある道路を渡った場所にひっそりと佇んでいます。
記念碑には、「旧泉北郡上神谷村大字田中字庭代は、多くの文化財と豊かな自然に囲まれた、戸数十九戸の静かな農業の集落でした。一九六三年(昭和三十八年)泉北ニュータウン建設計画が発表され、私たちの庭代集落が、造成工事により地中深く埋没することが明らかにされました。私たちは生まれ育った土地がなくなることについて、幾度も話合いを重ねました。そして最後にニュータウン建設事業の公共性に配慮し、全戸が庭代台一丁南地区に移転し、一九七五年、集落は造成工事により埋没しました。先祖代々私たちをはぐくみ育ててきた、庭代の自然と集落を偲び、先人の労苦に感謝し、歴史と伝統を伝えるために、ここに記念碑を建てるものです。」
この碑は、望郷の思いを託された有志各位に諮り建てられたものであると記されています。
隣組はなくなりましたが、何かしら関係は継続しています。
また、一時まで泉田中の地車は、庭代の方が住まわれる庭代台まで曳行しておりましたが、諸事情により現在は曳行されなくなりました。
こういった歴史があるということを、これからも後世に忘れず伝えていきたいものですね。