(休  止)
【三木閉(みきとじ)】
  昭和35、6年ころより休止。江戸末期から明治初期に製作されたものと思われている。
  大工は銘板に細工人"住吉大佐"とあるが、「大佐請取帳」には記載なし。彫師は、西岡弥三郎?、彫又一門。
  板匂欄は「加藤清正虎退治」、見送り正面が「漢の高祖の龍退治」、左が「獅子退治ほか」、右が「鯉退治」。
  住吉型(板匂欄出人形型式)。


(廃  絶)
【逆瀬川(さかせがわ)】
  桜井神社に合祀したため、唯一の村の入り口であった奥谷池の下にあった橋ではだんじりが通れなかったため、宮入はしなかった。村人が「俄芝居を奉納していたが、大正末期に大阪狭山市の山伏に売却。


【富蔵(とみくら)】
  明治後期に千早の谷底に落ちていただんじりを大工の秀やんが購入。4、5年は曳くが道が狭いことや喧嘩をするなどと言った理由で、大正期に貝塚市王子に売却した。


【畑(はた)】
  だんじりはあったが、鎮守の八幡神社が桜井神社に合祀したため、遠距離で道が狭いなどの理由により大正末期に大阪狭山市方面に売却したとされている。